ダンボーの北海道さすらいの旅、2018年の8月、厚い雨雲に覆われた8月のある日に訪ねてみたのは函館市方面へと。内地への距離が一番近い汐首岬のある戸井町へ。汽車が走る姿を想像したくなる、巨大な産業遺構・戦争遺構のある地域。
汐首岬は青森県は大間の地と北海道の地が最も近づき、本州と北海道を結ぶ距離では最短の地。そんな汐首岬の一角に堂々たる姿見せているのが旧戸井線コンクリートアーチ橋。
戸井線は、函館五稜郭から戸井を結ぶ路線として、昭和11年に着工された鉄道路線。
さかのぼること大正11年。産業開発、国防などの観点からいくつかの路線建設が検討される中、津軽海峡の軍事防衛増強も目指して敷設が決定されることになった。
大正13年には汐首岬周辺に砲台が建設されることが決められ、砲台への物資の輸送などの必要性から昭和11年に着工。完成目標は昭和19年。距離としては29.2km。
ところが、戦況の悪化・物資不足の影響を受けて、9割方の路盤が完成していたものの建設計画は頓挫。あと残り2.8kmというところで工事を中断したのは、昭和18年のこと。戸井線は一度も汽車が通ることも無く、それどころかレールが敷設されることも無く、廃線となってしまった。
もったいないね...
旧戸井線コンクリートアーチ橋は、戸井線建設の中でつくられた鉄橋。鉄不足に悩まされた戦時中のため鉄を使うことができず、鉄筋のないコンクリートアーチ橋となってしまったらしい。
粗悪な材料も影響しているのか、ところどころ崩落しているところもありそうなので、老朽化が著しいのかもしれない。
戦時中に打ち棄てられた戸井線が、戦後注目を浴びたのは青函トンネルの建設時。
当時の案のひとつとして、最短距離の大間と戸井を結んで函館につなぐ東ルートの一部として戸井線を再利用することがあげられていたようで。
ところが東ルートは距離は短いものの深度が深く、岩盤もトンネルには適さないということで、結果はご存知のように残念ながらの西ルート。
戸井線はまたしても、うち棄てられることに。
開通寸前で中断してしまった旧戸井線。とはいえ、線路のレールを敷設することが当時できたかというと、物資の面では疑問の余地はあるけれど...
戦時中からこの地に佇むコンクリートアーチ橋。現役として活躍したことは無いけれど、遺構としては、いまが現役。
げんきでね...
「駐車場」という場所があるわけではないので、近隣の方々の迷惑にならない路肩に駐車する形になりますので、ご注意とご配慮を。
【場所】
【函館市 旧戸井線コンクリートアーチ橋】
【訪問日:2018.08.15】