ダンボーの北海道さまよい歩きの旅。2021年の5月上旬に立ち寄ってみたのは白老町の白老仙台藩陣屋跡。白老町の桜の名所のひとつと聞いていたので行ってみたけれど、ちょっとばかり手遅れだった日。
まだちょっと桜が咲いている場所があるかななんて思いながら、雨が降り出しそうな中ドライブに出てみた日。
博物館ともなる仙台藩白老元陣屋資料館が併設されている白老仙台藩陣屋跡。この日は資料館には立ち寄らず。「桜を見よー」と思って出かけていたので、資料館はまた今度。
でも残念ながら、天気は悪いし、桜も終わりごろだしで。
そうは言っても「満開時期だったらきれいだろうなあ」と思ってしまうような場所。いつかはもうちょっと早めに来てみたい。
時は幕末。
和親条約を結んだものの、ロシアをはじめとする諸外国の南下政策を警戒していた江戸幕府は、松前藩や東北の諸藩に蝦夷の地の警備を命じることになった。
警護を命じられた各藩は蝦夷の地に20箇所以上の陣屋を築きあげて、沿岸の防備を図ったという。
白老から襟裳方面、そして道東方面の警護にあたることになったのが仙台藩。1856年に白老に陣屋を築き、これが白老町の始まりとなったとされている。
博物館のほうは有料だけれども、陣屋跡を眺めるだけならば無料の史跡。駐車場も無料なので、陣屋跡だけなら公園のお散歩気分。
ちなみに陣屋が活動した頃には120人ほどの藩兵が駐屯し、内曲輪と外曲輪に囲まれた中には、本陣・勘定所・穀蔵、長屋などが築きあげられ、一大拠点として活躍したらしい。
明治維新ののち戊辰戦争がはじまると、官軍が白老陣屋を攻撃する可能性が高まってきたため、この地に駐屯していた仙台藩士たちは故郷へと引きあげてしまい、陣屋としての短い歴史に幕をおろすことになったという。
陣屋に駐屯していた仙台藩士たちは、地元のアイヌとの融和にも努め、交換で手に入れた毛皮などで、蝦夷地の冬の寒さに耐えていたのだとか。共生空間をうたう白老としては、いかにもそれっぽい雰囲気のエピソード。助け合いって大事。
そういった歴史をもつ白老の仙台藩陣屋。
すぐそばには、小さな桜並木も。
それにしても、こんどはもうちょっと早めに来て見たいな。
【場所】
【白老町 白老仙台藩陣屋跡】
【訪問日:2021.05.05】