ダンボーの北海道さまよい歩きの旅、2019年の4月の中旬に立ち寄ってみたのは岩内町。蘭越町から海沿いの道路を走って岩内町へ。刀掛トンネルを抜けた山側にそびえて並ぶ廃温泉街は跡地となってしまった雷電温泉郷。
渡島半島の日本海側は、松前の「弁慶の足跡」からはじまり、寿都の「弁慶岬」などの義経伝説がなぜか残される地域。岩内町の雷電地区の名前も、源義経がアイヌの娘と別れ際に交わした「来年また戻る」という言葉がなまって「来年」→「雷電」となったという説もあったりする場所。
この地域に国道が開通した後、昭和38年ごろから栄え始めた雷電温泉郷。最盛期は9軒の温泉旅館が営業していたという。
日本海に面した小高い丘の上に並ぶ温泉地。かつては、海に沈む夕日を眺めながら温泉に入ったり食事をしたりと、ゆったりとしたくつろぎ空間だっただろう雷電温泉。
大型ホテル風の外観の雷電ホテルが開業したのは1965年。
時代が流れるとともに、いつのまにか温泉旅館は次々と廃業し、ホテル雷電も2007年には廃業。
2010年にホテル雷電は一部の施設のみを使用して「ホテル八一」として復活。
しかしながら同年、雷電温泉郷中心部からさらにさらに山奥にあり秘湯ともされていた湯元・朝日温泉が大雨による土砂災害で建物の一部が損壊し休業。
そして「ホテル観光かとう」も廃業し2012年ごろには破産。
「日帰り入浴」と「素泊まり」に特化したように、規模を縮小して続けてきた「ホテル八一」も2013~14年ごろには営業を終了。
かつて9軒の温泉宿泊施設があった雷電地域も、1軒を残すのみとなった。
この写真を撮ったのは2019年の4月。雷電温泉の名残を残すただ1軒の温泉旅館となったのは、こちらも雷電温泉の中心部から少し離れた場所に位置していた「三浦温泉旅館」。
「男女別になっているけれど、実はつながっている混浴のお風呂」「駐車場からよく見える露天風呂」など、こちらも秘湯感があったらしい。
いつか行ってみようかなと思っていたけれど、この三浦温泉旅館も2019年9月20日に休業。廃業ではなく休業とはいえ、これをもって、雷電温泉郷は営業している温泉宿がなくなってしまった。
北海道に逃げ延びてきたという義経伝説が残る日本海沿岸。この地に残される名残の地名は弁慶の刀掛岩。
広がる日本海と沈んでいく夕日、そして荒々しい地形の弁慶の刀掛岩。観光地として成立していそうなのに、いつのまにか廃温泉街。
それでもバスは停まる。
寂しさと悲しさを背負いながら、佇み続ける廃温泉街。ゆっくりと日本海の風を受けていつかは自然にかえるのだろうけれど。
向うに見える名前は、最後に泊まった人たちかな。ありがとうということなのか、名前は消されずに残っていて(だれかのいたずら書きだったりして)。
これを書いているのは2020年の11月。これから先、こういう場所が増えちゃうんじゃないかと不安を感じたり。それと同時に、意外としばらくの間は人の集まらない秘境感のある温泉宿の人気が出てくるんじゃないかって思ったり。
海のきれいな温泉旅館、夕日のきれいな温泉旅館。それだけでも人気が集まりそうだけれども、ダメなのね。社会って厳しいのね。なんて思ったり。
(2021.02.01追記)
メインで撮ったホテル雷電の建物は、2021年1月ごろから解体工事が始まりました。
(2021.04.18追記)
大雨降る中、眺めに行って見ました。
解体工事はかなり進行中でした。なんだか寂しい。
夏にもなれば、影も形も残っていないかも。
【場所】
【岩内町 雷電温泉郷跡にて】
【訪問日:2019.04.14】