ダンボーの北海道さすらいの旅、2019年の4月の下旬に訪ねてみたのは道南の松前町は松前藩屋敷。かつて栄えた松前の歴史の名残を残した、江戸時代の香りを残すいわゆるテーマパーク。
「松前の5月は江戸にもない」と呼ばれるほどの栄華を誇った蝦夷地の松前藩。順風満帆な歴史ではなかったけれど、日本最北の藩として北海道が日本に組み込まれていく歴史を築いた地。松前藩屋敷は、栄耀あふれる頃の松前藩の江戸時代の街並みを再現した有料のテーマパーク。
のれないの?
歩いてまわろ
再現された14棟の建物が中心となって、江戸時代へと片足を踏み込むようなタイムスリップ。 所々のお家には人々も再現されていて。
その時代の人々の暮らしや働きの雰囲気が感じられる藩屋敷。
並ぶ建物も外から見るだけじゃなくて、中にも入れたり。 場所によっては階段を上って2Fにも。階段、急ですべすべしてたのでちょっとコワい。
2Fの窓から見下ろす街並みも独特感。北海道では田舎の方でもあまり見かけない街並みが広がる世界。
松前といえば、道南地方の桜の三大名所のひとつ。松前城のもう少し億のほうにある藩屋敷もまた桜に包まれる場所。
松前に桜前線が上陸するのは4月の中旬から下旬ごろ。4月の終わりごろからはいろいろな種類の桜が次々と満開になっていくので、そうしたタイミングで訪ねてみるのもいいかも。
室町時代が終わりを迎え始める頃、蝦夷地の支配力を強めていた蠣崎氏。
蠣崎氏は豊臣秀吉の時代に主家から独立し、名実ともに蝦夷地の支配を確立。
豊臣秀吉の死後、蠣崎氏は徳川家康に近づき、この場所の地名にちなんで松前氏と改姓し松前藩へと。外様大名ではありながらも、松前藩は蝦夷地のアイヌとの交易を独占し繁栄した。
江戸時代の当時は、稲作ができなかった北海道の地。当初は無石高の藩であり、同業が重視される幕藩体制の中ではきわめて異例の存在だったという。
アイヌとの交易に力を注いだものの、アイヌとの反目、駒ケ岳・有珠山・樽前山の噴火といった天災も相次ぎ、財政状況は徐々に逼迫。
幕末の頃ともなると松前藩の財政は困窮を深め、幕府から領地を直轄地化されてしまったりすることも。
黒船をはじめとする諸外国からの圧力が強まる時期、国際性がある人物だとして12代藩主の松前崇広は外様大名でありながらも老中に就任。すぐに失職してしまったものの、これまた異例の出世を果たしていた。
髪長い女の人、でてきそう...
幕末と明治の維新が重なる頃、松前藩は当初は旧幕府側に立っていたものの新政府側に参画。
北へ北へと追われ続けた旧幕府軍は、ついには北海道の地へ上陸。その地を治めていた松前藩は旧幕府群から攻め落とされ、藩主は東北へと逃げ落ちることに。
おもちゃのとこで あそんでるね
蠣崎姓を名乗っていた頃から蝦夷の地とともにつくられてきた松前氏の歴史は終焉を迎えることなった。
さて、この日は駆け足で藩屋敷内をぐるり1周。営業時間終了までの時間も少なかったので、あまりのんびり見てまわれなかったけれど。
再現とはいえ、家の内部まで作りこまれた体験館。昔懐かしいを越えた和風の古き生活の片鱗に触れられるのも、また楽しからずや。
かえるよー
もうちょっと
まってーー
【場所】
【松前町 松前藩屋敷】
【訪問日:2019.04.28】