ダンボーとさまよい歩く北海道。2020年の11月上旬に立ち寄ってみたのは札幌市の北海道大学はポプラ並木。秋の北大構内となるとイチョウ並木の人気の影に隠れてしまうけれど、静かにひっそりと歴史を伝える並木路。
北海道大学のシンボルとも言われる北大ポプラ並木。ここは、クラーク博士の胸像と並び、北大構内のスポットとしては抜群の知名度を誇る並木路。
一般的には北大ポプラ並木というと、北大構内南西方面にある理学部方面から北大第一農場方面へと延びていく細い小道。そこが、北大の歴史を伝えるポプラ並木。
歴史をさかのぼれば明治の終わりごろ、まだ北大が札幌農学校であった頃。
明治36年、当時の札幌農学校の校長の息子さんがアメリカから持ち帰った数本のポプラの苗木を、農学校の教授がアカシアの並木に連なるように植樹したのが、そもそものポプラ並木の始まり。
その後、5千円札の肖像画にもなった新渡戸稲造に同行してアメリカへと渡った教授がポプラを購入して持ち帰り、明治45年にさらに植樹したことでポプラ並木ができあがったのだとか。
昭和の始めごろには、北大構内にはいくつものポプラ並木があったという。
西5丁目付近にあったポプラ並木は、昭和11年に農学部に陸軍の施設が設置されたときに、保安上の理由で伐採されたという。
平成13年には中央通り沿いにあったポプラ並木が、倒れる危険が高まったことで伐採されてしまった。
今なお残るこの北大ポプラ並木も、洞爺丸台風に襲われた昭和29年には数本のポプラの木が倒れ、昭和34年の台風では10本以上のポプラの木が失われてしまったという。
学内において「もう、危ないから切り倒しちゃおう」という声が高まる中、小学校3年生の女の子から「切らないで」という手紙をもらった当時の北海道知事がポプラ並木の保全に働きかけ、伐採論が高まっていた学内の空気を動かし、新たに若木も植樹されてその姿を保つことになった。しかしながら倒木の危険は残されており、この頃から「関係者以外立入り禁止」の措置が採られるようになったのだとか。
そして迎えることとなった平成16年9月8日。
その日、台風18号が札幌市内を駆け抜けて、あちらこちらに大きな被害を残した。
その被害は北大構内にも及び、大打撃を与えることになった。50本ほど並んでいたポプラの木は、風にあおられて崩れ倒れ、残るは32本となるにいたってしまった。
当時、僕は札幌に住んでいたけれど、正直なところ部屋の中で寝ながら「風つよっ!」とは思ってはいたけれど、あそこまでの被害が街中に散らばっているとは思わなかった。外に出てびっくりした。ニュースを見てさらにびっくりした。
台風が通り過ぎた後の天気は、ものすごい静かな雰囲気だったのにな。
防風林としての役目も持っていそうなポプラ並木は、役割を果たしたのか仕事に殉じたのか、長い歴史を紡いできた木々の多くが、台風の前に崩れ去ってしまった。
その後、ポプラ並木の再生を願い、新たに若木も植えられることになり、壊滅していたポプラ並木も、並木としての姿を取り戻したのだという。
現在は80mほどはポプラ並木の間を歩けるようにまで復活し、連なる並木道の途中までは一般の観光の人でも立ち入ることができるようにまでになっている。ちょうど上としたの写真のあたりが、一般の人が自由に立ち入れる限界点。入り口は一見すると入っちゃダメの雰囲気もあるけれど、金属製のそれは車止め。
北大の歴史だけではなく、札幌いや北海道の開拓の歴史をも背負っているようなポプラの並木。
平成12年には新たに平成ポプラ並木が作られており、北大を象徴するかのようなポプラの並木。
秋の紅葉を見ようとやってきたけれど、どちらかというと緑の葉の繁る夏や、白い雪に囲まれた葉の無い冬のほうが美しく見えるらしい。
紅葉を見るには、もうちょっと後だったのかな。
またねー
北大構内は、一般の人は車では入ることができない場所。なので、地下鉄などの駅から歩くか、郊外の近くの駐車場に車を停めて歩いていかなくちゃいけない。
ちょっと遠いけれど、時間にとっても余裕があれば立ち寄ってみたい北大と札幌の歴史を背負った北大ポプラ並木。これからも長い歴史を語ってほしい、北大ポプラ並木路。
【場所】
【札幌市 北大ポプラ並木】
【訪問日:2020.11.01】