ダンボーの北海道さまよい歩きの旅。2021年の3月上旬に立ち寄っていたのは函館市。埠頭の近くの小さな広場の一角に佇む、小さな女の子。赤い靴を履いた女の子に会いに。って書くと何かを疑われそうだけど、健全ですよ。
函館の有名な坂、八幡坂を下って港に向って行った先。
埠頭方面へと向かい、海もすぐそばになった頃。
赤レンガ倉庫群にもほど近い場所に、ぽつんと寂しげに立つ女の子の像。「赤い靴の少女像」と名付けられた女の子。
あかいくつー♪ はーいてたー♪ おんなのこー♪♪
いーじんさんにー♪ つーれられーてー♪
子どものころ、この後を正しく歌っていた人は少ないような気がする。ちなみに、私は「ひい爺さん」派。そして、口ずさめたのは1番だけ。
童謡「赤い靴」のモデルになったと言われているのが、静岡出身の岩崎きみちゃん。お母さんの岩崎かよさんと静岡を旅だち、函館の地にやってきたのは明治36年の頃だという。
当時は厳しい北海道開拓の時代。かよさんは留寿都へと向ったけれど、病弱な2歳のきみちゃんを連れて行くことはできず、アメリカの宣教師さんに預けることにし、函館の地で離れ離れになったという。
その後、親子は一度も再会を果たすことはなく、お母さんは苦しい開拓生活を続ける中、きみちゃんは今頃どうしているのかなと思いをめぐらせて伝えたお話が歌の元になっているらしい。
元気にあめりかで暮らしているかな、いまごろはあめりか人になっているのかなって。
残念ながら、きみちゃんはアメリカには向っていなかったらしい。宣教師さんと一緒に函館から横浜へと向ったけれど、重い病に倒れてしまったきみちゃんをアメリカへは連れて行くことができず、きみちゃんは横浜の孤児院で九歳で亡くなってしまっていたらしい。そのことをお母さんは知ることなく、生涯を終えたのだとか。
いっしょだったらよかったのに
かなしいお話だね
諸説あるみたいですが、この地で離れ離れになってしまった女の子とお母さん。でも、預けなければ、極寒の地・北海道の地でもっと早くに倒れてしまったかもしれない。
あかいくつー♪ はーいてたー♪ おんなのこー♪♪
改めて歌詞を眺めていくと、悲しみと希望がずっしりと心に応えてきちゃうね。
【場所】
【函館市 赤い靴の女の子の像】
【訪問日:2021.03.07】