えりも町の襟裳岬を越えて胆振側から十勝側へ。北海道の右側にわたったところにあるのが小さな湖、悲恋沼。
北緯42°地点の標識が立つ駐車場。北緯42°ということは乙部町の42°岬と同じような北緯線。
この駐車場から海側に続く細い路を歩いていけば百人浜、山側方面へと向かうような小路に入っていけば、そこにあるのが悲恋沼。
悲恋沼。漢字で書いた言葉の響きがなんとも心が惹かれそうな場所。
悲恋沼の周りには遊歩道の木道が続いていて。草をかき分けるような道ではないけれど、ところどころ注意が必要で。
古びてしまったのか、木道はちょっとあぶなかしくて。夏にはホタルが飛びかうらしいけれど、懐中電灯を持って照らして歩かないと、確実に危ない。
遠くに見える山を見ながら歩いていくと、5分も歩けばそこが目指す悲恋沼。
水面が静かにゆらぐ悲恋沼。季節によっては野鳥が多く飛んでくるとも言われる小さな沼。
春だというのに、まだ緑よりも秋口に近いような4月の中旬の草木の色合い。でも悲恋沼という名称からはこちらのほうが雰囲気がありそうで。
春の芽吹きが始まりかけた頃ではあるけれど、木々の葉っぱは春には程遠かったけれど。
鳥たちが集うためか、バードウォッチング用と思われる展望所も準備されてはいるけれど、かなりささくれ立ったベンチや板張りが痛々しくも見えて。
そんな感じの悲恋沼は、夕景の名所としても知られているようだけれども、それを知ったのは帰ってきてから。ちょうど夕日の頃だったのに、あまり多くの時間を避けなかった。
時は江戸時代、3代将軍家光の後を家綱が継ぎ10年ほどの年月が流れた寛文年間の頃。
ここに住まう和人の男「久作」と日高アイヌの少女「ピリカ」は人知れず恋におち、逢瀬を重ねるようになっていたそうな。
そのころこの地でアイヌ同士の争いが起きてしまい、久作は蝦夷の地を離れて内地へと戻らねばならなくなったという。
この世では結ばれぬ運命なれど、来世では必ずや。叶わぬ恋を嘆きながらも、ふたりはそう誓い合い、久作は蝦夷の地を後にしていったという。
久作が乗る舟を泣きながら見送っていたマエラは、舟の姿が見えなくなっても、次の日もそしてまた次の日も、舟の消えていった彼方を眺めながら、浜辺で泣き続けておったそうな。
ある日、涙を流していたマエラの姿が浜辺から消え去ってしまったかと思うと、なぜかぽっかりとこの沼が現れていたという。
このとつぜん現れた沼はマエラが流した涙の化身として言い伝えられ、いつのころからか「悲恋沼」と呼ばれるようになったそうな。
そんな悲しい物語を湛えている悲恋沼。
そういう謂れを知ってみるか知らずに見るか、それによっても受ける印象は変わってきそうな、ぽつんと小さな青い沼。
【場所】
【えりも町 悲恋沼】
【訪問日:2019.04.21】